月影の果てに

深い霧が、江戸の街を覆っていた。鼠色の空に、三日月はぼんやりと浮かび、街灯の灯火は、霧に呑み込まれていく。

「なぜだ…なぜ、自首したんだ?」

男、朔夜(さくや)は、牢屋の鉄格子越しに、男二人を見つめていた。(あかつき)と暮雷(くれらい)だ。かつて、三人で夜の運び屋を名乗り、闇に紛れて生きてきた仲間だった。

暁は、顔を伏せていた。暮雷は、朔夜を見つめ返す。その瞳には、後悔の色が滲んでいた。

「…わかっていたんだ。いつか、この日が来ると」

暮雷の言葉に、朔夜が眉をひそめる。

「わかっていた? だって、まだ、逃げられるはずだった。あの時、俺たちが手に入れたものは、莫大な金だったんだぞ。これで、一生安泰…いや、もっと、もっと…」

朔夜の声は、途絶えた。彼は、かつての夢、自由と富への執念を、今になって、虚しさとして感じていた。

「…あの夜は、月が綺麗だったな」

暮雷は、静かに呟いた。

「…そうだな」

暁も、顔を上げて、かすかに微笑んだ。

「あれが、最後の仕事になるなんて、思わなかった」

三人にとって、あの夜は、忘れられない夜だった。彼らは、東の商人から、月影石と呼ばれる、光り輝く宝石を盗み出したのだ。

しかし、彼らの計画は、隠密同心の罠にかかっていた。

「あれは、罠だったんだ…」

朔夜は、拳を握り締める。

「…そうじゃなく、俺たちが、悪かったんだ」

暁が、朔夜に向かって言った。

「…何言ってんだ、暁。あれは、俺たちのせいじゃない…」

「違うよ…俺たちは、己の欲望に目がくらんでいた。月影石を手に入れることだけに、夢中になって、周りのこと、何も見えていなかったんだ」

暁の言葉に、朔夜は沈黙した。

「…それから、あの時、俺たちは、大切なものを失った

暮雷は、そう呟くと、牢屋の壁に視線を向けた。

「…大切なもの?」

朔夜は、戸惑った。

「…そう、信頼を」

暮雷の言葉は、朔夜の心に深く突き刺さった。

「…信頼…?」

朔夜は、再び、暁と暮雷を見つめた。彼らの瞳には、過去の栄光ではなく、深い後悔と、かすかな希望が輝いていた。

「…俺たちは、二度と、闇に足を踏み入れることはない

暁は、静かに宣言した。

「…そうだな」

暮雷は、暁の言葉に同意した。

朔夜は、二人の言葉を聞いて、自分の心の奥底に眠っていた何かを感じた。それは、かつて彼らが共有していた、仲間意識だった。

「…二人とも、よくぞ…自首してくれた」

朔夜は、ついに、言葉を絞り出した。

「…朔夜…お前も、一緒だ」

暁と暮雷は、同時に、朔夜を見た。

「…俺たちは、もう、一人じゃない

朔夜は、暁と暮雷の視線を感じ、自分の胸に手を当てた。

「…そうだな」

暁と暮雷は、同時に、静かに微笑んだ。

月影石は、盗まれたままだった。しかし、彼らは、失った信頼を、再び取り戻した。

霧は、徐々に晴れ始め、暁光が差し込み始めた。

新たな夜明けが、彼らを待っていた。

-完-


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    • 小説のジャンル: 幻想小説