第1章　運命の黒い蝶 (ライトノベル)

第1章　運命の黒い蝶

マダガスカルの首都、アンタナナリボ。爛熟した果実の香りと、土の湿った匂いが混じり合うこの街の外れに、ひっそりと佇む屋敷があった。黒檀のように黒い壁、尖塔が空を突き刺す陰鬱な佇まい。人々はそこを「鴉の館」と呼び、近づくことを恐れていた。

その館の主こそ、ゴメズ・アダムス。漆黒の髪、鋭い眼光、常に口元に浮かぶ薄暗い笑み。彼は謎めいた富豪であり、その出自を知る者はいなかった。

ある嵐の夜、館の門前に一台の車が停まった。降り立ったのは、世界的な歌姫、デュア・リパ。つややかな黒髪をなびかせ、吸い込まれるようなエメラルドグリーンの瞳で屋敷を見上げる。彼女は、祖父の遺言に従い、この館を訪ねてきたのだ。遺言には、この屋敷にデュアの“運命の人”がいると書かれていた。

「まさか、こんなところに…？」

デュアは眉をひそめた。ステージの華やかな照明に慣れた彼女にとって、この陰鬱な屋敷はまるで異世界だった。しかし、祖父の言葉を信じ、重厚な扉をノックする。

軋む音と共に扉が開き、背の高い執事が姿を現した。ひどく痩せた体に、青白い肌。まるで生きている骸骨のようだった。

「ようこそ、アダムス邸へ。お待ちしておりました、デュア・リパ様。」

執事に導かれ、館の中へ進む。薄暗い廊下には、奇妙な剥製や、不気味な肖像画が飾られている。空気が重く、まるで時間が止まっているかのようだった。

やがて、広大な客間に通された。暖炉の火が揺らめき、怪しい影を壁に映し出す。そして、暖炉のそばの椅子に、男が座っていた。

ゴメズ・アダムス。

デュアは息を呑んだ。彼は写真で見たよりもずっと美しく、危険な雰囲気を漂わせていた。まるで、暗闇に咲く黒い花のよう。

ゴメズはゆっくりと立ち上がり、デュアに近づいてきた。彼の黒い瞳が、デュアを射抜く。

「ようこそ、デュア。君を待っていた。」

低く、甘い声が響く。その声は、デュアの心を不思議なざわめきで満たした。

運命の歯車が、音を立てて動き始めた。

ゴメズとの出会いは、デュアにとって衝撃だった。彼は、彼女がこれまで出会ったどんな男性とも違っていた。陰鬱でミステリアス、それでいて抗えない魅力を放つ。

ゴメズはデュアに屋敷を案内した。拷問器具のコレクションルーム、毒草が生い茂る温室、地下の霊廟。どれも常人には恐ろしい場所だが、デュアは奇妙なほど惹きつけられた。ゴメズの暗い世界に、彼女は光を見出したのだ。

ある夜、ゴメズはデュアを舞踏室に招いた。黒曜石のように輝く床、巨大なシャンデリア、壁には骸骨の装飾。不気味ながらも美しい空間だった。

「デュア、私と踊ってくれるかね？」

ゴメズが手を差し出す。デュアはためらうことなく、その手を取った。

ゆっくりとしたワルツが始まる。ゴメズの腕の中にいると、デュアは不思議な安心感に包まれた。まるで、ずっと前から彼を知っていたかのように。

曲が終わると、ゴメズはデュアの手に口づけをした。

「デュア、君は美しい。まるで、夜空に輝く黒い星のように。」

ゴメズの言葉は、デュアの心を震わせた。彼女は、自分が恋に落ちていることを自覚した。この陰鬱な屋敷の主、ゴメズ・アダムスに。

(続く)