ティファナの風、南大沢の魂
1888年、メキシコ、ティファナ。乾いた風が巻き上げる砂塵の中、一人の老婆が走り続けていた。名はハナ。かつては日本の南大沢の穏やかな田園で暮らしていたが、今は異国の地で、まるでシャトルランのように、行ったり来たりを繰り返している。息も絶え絶えになりながら、彼女は遠く離れた孫、タロウの笑顔を思い浮かべた。
ハナがティファナに来たのは、2年前のことだった。新大陸での成功を夢見た息子、ケンジを追って、太平洋を渡ったのだ。ケンジはティファナで鉄道建設の仕事に就いたが、事故で重傷を負い、寝たきりになってしまった。ハナは息子の看病をしながら、わずかな収入を得るために、洗濯や掃除の仕事を掛け持ちしていた。
過酷な労働と慣れない環境は、ハナの体に大きな負担をかけていた。だが、彼女を支えたのは、日本に残してきた家族、特にタロウの存在だった。タロウはハナが作るおはぎが大好きで、いつも満面の笑みで食べていた。その笑顔を思い出すたびに、ハナの心には力が湧いてきた。
ある日、ケンジの容態が急変した。医者は高額な手術費用を要求したが、ハナには到底払える金額ではなかった。途方に暮れたハナは、町で偶然見かけた「ティファナ国際マラソン」のポスターに目を留めた。優勝賞金は、ケンジの手術費用に十分だった。
ハナは生まれて一度もマラソンを走ったことはなかった。しかし、息子の命を救うため、彼女は走ることを決意した。毎日、ティファナの荒野を走り、南大沢の田んぼ道を走っていた頃を思い出した。足は痛み、息は切れそうになったが、タロウの笑顔が彼女を励まし続けた。
マラソン当日。灼熱の太陽の下、ハナはスタートラインに立った。周りの若いランナーたちに比べて、彼女は明らかに不利だった。しかし、ハナの目には強い決意が宿っていた。彼女は、ただひたすらに走り続けた。南大沢の田園、タロウの笑顔、そしてケンジの回復を願いながら。
ゴールテープを切った瞬間、ハナは力尽きて倒れ込んだ。順位は、最下位だった。しかし、観客たちはハナのひたむきな姿に感動し、惜しみない拍手を送った。そして、ある裕福な実業家がハナの事情を知り、ケンジの手術費用を全額負担することを申し出た。
ケンジは無事手術を受け、回復に向かっていった。ハナは、ティファナの風の中で、南大沢の魂を胸に、新たな人生を歩み始めた。タロウに会う日まで、そして、ケンジの完全な回復を願いながら。
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- 小説のジャンル: 歴史小説
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