オムドゥルマンの沈黙 (推理小説)

オムドゥルマンの沈黙

オムドゥルマンの乾いた風がサラの髪をなびかせた。遠くで流れるスーダンの国歌が、不吉な静寂を強調するように響いていた。マイケルは静かに、しかし強い口調で言った。「サラ、君の声はどんな歌よりも美しい。だから、僕の心に響くその歌を、口ずさまないでほしい。君の美しい声は、僕のためだけに歌ってほしいんだ。」

サラはハッとした顔をして、マイケルの瞳を見つめた。その瞳には、スーダンの乾いた大地よりも深い愛情が宿っていた…はずだった。しかし、その奥底に、何か別のもの、冷たく鋭い光が瞬いていたことに、サラは気づいた。まるで獲物を狙う鷹の目のように。

それは、国歌が途切れたのと同時だった。銃声。一発。乾いた音が砂塵の中に吸い込まれていく。サラの隣に立っていたマイケルが、胸を押さえて崩れ落ちた。

「マイケル！」

サラの叫びは、虚しく砂漠に響くだけだった。

駆けつけたのは、オムドゥルマン警察のベテラン刑事、ハッサンだった。彼は、茫然自失のサラから事情を聞き、現場を綿密に調べ始めた。

マイケルの胸には、確かに銃弾が一つ貫通していた。凶器は見つからない。目撃者もいない。サラの証言以外、手がかりは何もない。

ハッサンは、サラの言葉を反芻した。「…僕の心に響くその歌を、口ずさまないでほしい。君の美しい声は、僕のためだけに歌ってほしいんだ…」

歌？

ハッサンは、マイケルのポケットから小さなICレコーダーを発見した。再生ボタンを押すと、美しい女性の声が流れ始めた。それは、スーダンの伝統的なラブソングだった。そして、歌声の主は、紛れもなくサラだった。

サラは、マイケルに頼まれて歌を録音したと主張した。しかし、ハッサンは違和感を拭えなかった。なぜ、マイケルはサラの歌を「口ずさまないでほしい」と言ったのか？なぜ、ICレコーダーを肌身離さず持っていたのか？

捜査を進めるうちに、ハッサンは驚くべき事実を突き止めた。マイケルは、スーダンの諜報機関に所属していた。そして、彼が担当していたのは、ある反政府組織への潜入捜査だった。

その反政府組織は、歌を使った暗号通信を行っていた。サラの歌声は、彼らにとって重要な“鍵”だったのだ。

マイケルは、サラの歌が暗号として使われていることを知っていた。だからこそ、公の場で口ずさむことを禁じたのだ。そして、ICレコーダーに録音された歌は、暗号解読の重要な手がかりとなるはずだった。

しかし、マイケルは暗殺された。一体誰が、何のために？

ハッサンは、サラの美しい歌声の裏に隠された、複雑な陰謀の闇へと足を踏み入れていく。真犯人は、意外にも近くにいる人物だった。そして、その動機は、想像を絶するほど深く、悲しいものだった。

オムドゥルマンの乾いた風は、今もサラの髪をなびかせている。しかし、その歌声は、二度と砂漠に響くことはないだろう。