夜哭ノ譜と星歌

第一章:シドニーの夜空に響く調べ

20XX年、10月17日。シドニーの夜空は、それまで見たことのない光景に染め上げられていた。ハーバーブリッジとオペラハウスの間に、巨大な、しかしどこか有機的な光体が静かに浮かんでいたのだ。その光体から放たれるのは、地球上のどの言語とも異なる、しかし人間の魂の深淵に直接響くかのような、とてつもなく美しい歌声だった。

世界は騒然とした。各国政府は声明を出し、宇宙物理学者たちは興奮と困惑の入り混じった顔でテレビの前に座った。SNSでは「宇宙人の歌姫」というハッシュタグがトレンドを席巻し、その歌声は瞬く間に地球上を駆け巡った。

しかし、その神秘的な現象の裏で、不穏な影が忍び寄っていた。歌声を聞いた一部の人々が、精神に異常をきたし始めたのだ。シドニー中心部では集団ヒステリーが発生し、病院はパニック発作や原因不明の幻覚症状を訴える人々で溢れかえった。さらに奇妙なことに、街の古い建築物、特に地下に広がる歴史的建造物の一部が、まるで内側から蝕まれるかのように、音もなく崩壊していく現象が報告され始めた。

日本、東京。古びた研究室にこもり、分厚い古文書の山に埋もれていた佐倉健吾は、テレビのニュースが伝えるシドニーの映像に釘付けになっていた。東京大学東洋文化研究所に籍を置く彼は、安土桃山時代の古文書研究の第一人者だった。

「この声……どこかで……」

宇宙人の歌声は、健吾の胸の奥底に、得体の知れない既視感を呼び起こした。それは、彼が数年来研究している、一枚の奇妙な古文書と深く結びついているような気がしてならなかった。その古文書の名は、『夜哭ノ譜(よなきのふ)』。存在すら疑われるような、一部の研究者の間でしか知られていない、謎多き文献だった。

健吾は迷わず、シドニー大学の宇宙物理学者、リサ・ハミルトンに連絡を取った。彼女は、健吾が参加した国際学会で知り合った、若き俊英だった。

「佐倉先生、ご無沙汰しています。シドニーは今、大変なことになっています」 リサの声は疲弊しきっていたが、その瞳には知的な輝きが宿っていた。 「リサさん、あの歌声について、詳細な周波数分析データはありますか? そして、その歌声が、特定の場所、特に地下構造物に与える影響について調べてほしい」 健吾の要求は突飛に聞こえるかもしれないが、リサは彼の学術的背景を理解していた。 「分かりました。既にいくつかの異常は確認されていますが、もう少し詳しく見てみます。しかし、なぜ古文書の先生が、そんなことに?」 「勘です。嫌な勘がするんです。私の研究している古文書に、この歌声が記されているような気がしてならない」

数時間後、リサから健吾の元に、宇宙人の歌声の精密なデータと、シドニーの地下構造物における異常共鳴の報告が送られてきた。データを見る健吾の顔から、血の気が引いていく。

「やはり……」

健吾は、書棚の奥から埃をかぶった巻物を取り出した。それは『夜哭ノ譜』の写本だった。

第二章:古文書の囁き

『夜哭ノ譜』は、安土桃山時代末期に、とある山岳寺院の僧侶によって記されたと伝えられる奇書だった。内容は天地創造の秘話、異界の存在、そして災厄の到来と封印の儀式について、詩的な、あるいは呪術的な言葉で綴られていた。健吾が注目したのは、その中の「星降る夜の異形の声」と題された一節だった。

写本の記述には、具体的な音階やリズムを表すような、奇妙な符丁が記されていた。健吾は、その符丁とリサから送られてきた宇宙人の歌声のデータを照合する。そして、彼の予想は最悪の形で的中した。

「完全に一致する……!」

符丁が示す音階、リズム、そして特定の周波数パターン。それは、シドニーの夜空に響く宇宙人の歌声と、驚くほど正確に合致していたのだ。健吾の手は震えた。古文書は、この現象を数百年前に予言していたというのか?

健吾はすぐに、ドイツの著名な言語学者で、古代言語やシンボロジーの権威であるハンス・ミュラー博士に連絡を取った。ミュラー博士もまた、宇宙人の歌声に興味を抱いていた一人だった。

「サクラ君、まさか君の古文書が、あの『星の調べ』と関係しているとはね。信じがたいが、興味深い」 ミュラー博士は、健吾が送った『夜哭ノ譜』の写本データと、宇宙人の歌声の言語的分析結果を比較していた。 「博士、この『夜哭ノ譜』には、『星降る夜、異形の声が響く時、深淵より『咎人(とがびと)』目覚め、現世を喰らう』とあります。『咎人』とは一体……」 ミュラー博士は眉間に皺を寄せた。 「この『咎人』という言葉、他の古代文明の神話にも、似たような概念が存在する。たとえば、バビロニアの『ティアマト』、ギリシャの『タロス』。いずれも、地球深部に封印された、あるいは地球そのものを脅かす存在として描かれている。この歌声は、その封印を解く鍵、あるいは……」

ミュラー博士は言葉を濁した。しかし、健吾はミュラー博士が何を言いたいのか、直感的に理解した。この歌声は、何らかの封印を解くための「呪歌」である可能性があった。

その時、リサから緊急の通信が入った。 「佐倉先生、ミュラー博士! 歌声が特定の場所、特にシドニーの地下深くに位置する、先住民族アボリジニの聖地として崇められていた遺跡に対して、異常な共鳴を引き起こしています。遺跡は崩壊寸前で、そこから、形容しがたいエネルギーが噴出し始めています!」

健吾の脳裏に、『夜哭ノ譜』の次の記述が蘇った。「大地は震え、魂は喰われる」。

第三章:深淵からの共鳴

シドニーの地下深くから噴出するエネルギーは、日を追うごとに強まり、街のいたるところで原因不明の地割れや、電磁波の異常を引き起こしていた。人々の錯乱もさらに悪化し、街はパニック状態に陥りつつあった。

健吾とミュラー博士は、リサの招きで急遽シドニーへと飛んだ。空港に降り立つと、街全体が奇妙な緊張感と不安に包まれているのが肌で感じられた。

リサは、彼らを地下深くへと案内した。そこは、かつてアボリジニの神話に登場する「夢の時」の聖地とされた場所であり、最近の研究で、数万年前の未知の文明の痕跡が発見された場所でもあった。

「この遺跡が、歌声の中心と共鳴しています」 リサは、壁面に古代文字が刻まれた巨大な空洞を指差した。その文字は、『夜哭ノ譜』に記された符丁と驚くほど似通っていた。 「歌声の周波数が、この遺跡の構造と完全に一致することで、何かが活性化されている。それが、街の異常現象を引き起こしていると考えられます」

ミュラー博士が壁の文字を指でなぞった。 「これは……『封印の歌』と『目覚めの歌』、二つの意味を持つようだ。しかし、そのどちらが目的で歌われているのか……」

健吾は、そこで一つの恐ろしい仮説にたどり着いた。 「まさか……宇宙人たちは、この『咎人』と呼ばれるものを封印しようとしているのでは? しかし、その歌声が、逆に『咎人』を刺激している……?」

リサがモニターを指差した。そこには、地下深くの地層に眠る巨大なエネルギー体が映し出されていた。それは、まるで生きているかのように脈動し、その動きに合わせて、街の被害が拡大しているのが見て取れた。 「このエネルギー体の覚醒が、急速に進んでいます。このままでは、シドニー全体が飲み込まれてしまう」

宇宙人の歌声は、確かに心を揺さぶる美しいメロディだった。しかし、その根底には、人類には理解できない、深い悲しみと切迫感が込められているように感じられた。健吾は、宇宙人たちが地球を救うために歌っているのだと確信した。彼らは、古文書に記された「星より来たる異形」であり、同時に「守護者」だったのだ。

彼らの歌声は、「咎人」を封印するための呪歌。しかし、その歌声が持つ強大なエネルギーが、封印を逆に刺激し、覚醒を加速させていた。あるいは、その強大な歌声でなければ、「咎人」の覚醒を食い止めることすらできなかったのかもしれない。人類には知り得ぬ、遥か昔から続く戦いが、今、シドニーの地下で再び繰り広げられていたのだ。

健吾は『夜哭ノ譜』を再び開いた。そこには、封印が破られそうになった際の「最終の術」について記された一節があった。それは、宇宙人の歌声と、地球の特定の人間の「思念」を組み合わせることで発動する、新たな封印の術だった。

「リサさん、ミュラー博士。この『咎人』の覚醒を止める方法が、『夜哭ノ譜』に記されています。しかし、そのためには、宇宙人の歌声だけでなく、私たち人類の協力が必要だ」

健吾は『夜哭ノ譜』の解読結果を、リサとミュラー博士に示した。 「『星の調べ、地の魂と交わりて、深淵を閉じよ』。これは、宇宙人の歌声と、地球の生命体の思念が融合することで、封印が強化されることを示しています。つまり、私たちが、この歌声に呼応し、協力する必要があるんです」

ミュラー博士が唸った。「思念か。それは、意識を集中させる、祈り、あるいは共鳴……。しかし、混乱している市民に、どうやってそれを?」

リサはモニターを見つめていた。「宇宙人の歌声は、現在、特定の周波数帯で精神に干渉し、混乱を引き起こしています。しかし、その歌声の奥には、地球の生命を慈しむような波動も感じられます。彼らは、私たちに助けを求めているのかもしれません」

健吾は、宇宙人の歌声が人類に混乱をもたらしているのは、不本意な副作用であると理解した。彼らは、遥か昔、地球に飛来し、地球深部に潜む邪悪な存在「咎人」を封印した監視者の一族だったのだ。そして今、その封印が弱まっていることを察知し、自らの命を賭して、再び「封印の呪歌」を歌っていた。その歌声は「咎人」を再封印するためのものだったが、同時にそのエネルギーは、地球上の生命、特に精神に強い影響を与えていたのだ。

「『夜哭ノ譜』には、もう一つ重要なことが記されています。『地の魂の集合、最も清き心に導かれ、最終の詞(ことば)を唱えよ』。つまり、多くの人々の想いを束ね、特定の人がその『最終の詞』を歌う、いや、心を込めて唱える必要があるんです」

その「最終の詞」は、古文書に記された複雑な符丁によって示されていた。それは、単なる音の羅列ではなく、地球の生命の根源に働きかける、言霊のようなものだった。

しかし、シドニーは混沌の淵にあった。人々は恐怖と混乱の中で、互いを疑い、非難し合っていた。どのようにして、彼らの心を一つにまとめ、集合的な思念を作り出せるのか?

リサが顔を上げた。「宇宙人の歌声には、特定のパターンがあります。そのパターンを解析し、逆相の音波を生成することで、精神干渉の副作用を一時的に弱めることは可能です。ただし、完全ではありません。そして、歌声の主が歌うことを止めれば、全てが無に帰す」

健吾は決意した。「ならば、我々が、その『最終の詞』を伝える場所を見つけ、人々を導くしかない」

三人は、再びシドニーの街へと繰り出した。ラジオやテレビ局、街中に設置された大型ビジョンをジャックし、健吾は世界に向けて語り始めた。

「私は佐倉健吾。日本の古文書研究者です。今、シドニーで起きていること、そして宇宙人の歌声の真実をお伝えします」

彼は、ゆっくりと、しかし確固たる声で、『夜哭ノ譜』に記された真実、宇宙人が地球の守護者であること、そして「咎人」の覚醒を止めるためには、人類の心の力が不可欠であることを語った。最初、人々は混乱し、彼の言葉を信じなかった。しかし、健吾が語る「咎人」の恐ろしさ、そして宇宙人の歌声に込められた悲しみと希望が、徐々に人々の心に響き始めた。

特に、歌声の精神干渉が一時的に弱まったことで、人々は冷静さを取り戻し、彼の言葉に耳を傾けるようになった。リサとミュラー博士は、健吾の言葉を各国の言語に翻訳し、世界中へと発信した。

そして、健吾は語り終える寸前に、古文書に記された「最終の詞」の冒頭を、自らの声で唱え始めた。それは、古くから伝わる子守唄のような、しかし力強く、清らかな調べだった。

第五章:魂の旋律、そして終焉

佐倉健吾の「最終の詞」は、世界の混乱の中に、一筋の光を差し込んだ。ラジオ、テレビ、インターネットを通じて、その声は世界中へと拡散された。多くの人々は、最初は戸惑いながらも、その調べに耳を傾けた。宇宙人の歌声の精神干渉が弱まったこともあり、その詞は人々の心の奥底に眠る「善なる思念」を呼び覚ますかのように響いた。

シドニーの街角、廃墟と化したオペラハウスの前。健吾は、集まった数千の市民の前に立っていた。リサは、解析された宇宙人の歌声の核心部分と、健吾の声、そして集まった人々の意識を融合させるための装置を設置していた。ミュラー博士は、人々の意識を集中させるための古代の瞑想術を指導していた。

「さあ、皆さんの心です。恐怖を乗り越え、地球を愛する、その清らかな思念を、この歌声に乗せてください!」

空に浮かぶ光体は、これまで以上に強く輝き、その歌声は、まるで最後の力を振り絞るかのように、最高潮に達していた。地下からは「咎人」の覚醒による不気味な脈動が響き、地面が大きく揺れ動く。

健吾は、深呼吸し、再び「最終の詞」を唱え始めた。彼の声は、地球の古い岩石から湧き出るかのような、力強い響きを持っていた。それに呼応するように、シドニーの市民たちは、恐怖を乗り越え、健吾の言葉を、そして宇宙人の歌声を受け入れ、自らの心を集中させた。彼らの意識が、希望と平和への願いが、一つになって空へと昇っていく。

リサが操作する装置が、その集合思念を宇宙人の歌声と融合させ、新たなエネルギーの波を生み出した。その波は、地中深くに眠る「咎人」へと向かって、一直線に突き刺さる。

「グオォォォォォオオオ!!!」

地下から、地球の根源を揺るがすような、断末魔の叫びが響き渡った。「咎人」の脈動が止まり、地下から噴出していた不穏なエネルギーが急速に収束していく。街の揺れも止まり、崩壊寸前だった遺跡も、奇跡的に持ちこたえた。

宇宙人の光体は、その役割を終えたかのように、輝きを失い、ゆっくりと夜空の彼方へと消えていった。彼らは、人類に未来を託し、静かに去っていったのだ。

シドニーは救われた。世界は、この奇妙な出来事の真相を知ることはなかった。各国政府は、「未確認飛行物体による集団ヒステリーと自然災害」として処理し、佐倉健吾たちの活動は、歴史の裏に葬り去られた。

しかし、健吾、リサ、ミュラーの三人は、その夜に起きた出来事の真実を知っていた。彼らは、人類が再び同じ過ちを犯さぬよう、そして「咎人」が再び目覚めることのないよう、密かに監視を続けることを誓い合った。

『夜哭ノ譜』は、その役割を終え、再び健吾の研究室の奥深くにしまわれた。しかし、シドニーの夜空に響いた魂を震わせる歌声と、そこから呼び覚まされた「未知の恐怖」の残滓は、人々の心と地球の深部に、静かに、そして永劫に横たわり続けるのだった。

それは、人類が宇宙と、そして自らの歴史と向き合う、新たな時代の幕開けでもあった。 果たして、次に星が歌う夜、人類はどのような選択をするのだろうか。


The Codex of Night Cries and the Star Song

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    • 小説のジャンル: 推理小説
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