鳥取の、白砂が波打ち際に溶け込む海岸線の丘に、その像は静かに佇んでいた。風雨に晒されながらも、一切の装飾を排し、ただ柔らかな曲線だけで構成された女性の像。それは、この地の住人にとって「慈愛の像」と呼ばれ、見る者の心に深い安らぎと、尽きない愛情をそっと灯し続けていた。まるで、余計なものを削ぎ落としたからこそ、その本質が輝きを増すかのように。

しかし、その穏やかな風景は、ある事件によって一変する。

像のモデルとなった佐伯静子――地元では「生きた慈愛の像」とまで称された篤志家の老女が、自宅の居間で、静かに息絶えていたのだ。彼女の傍らには、飲みかけの茶が湯気を失い、あたりには微かな杏仁の香りが漂っていた。青酸カリ。毒殺だった。

「佐伯さんは、本当に良い人でした。敵なんて一人もいないはずですよ」 鳥取県警の若い刑事が困惑した顔で呟く。

現場に居合わせたのは、たまたま休暇でこの地を訪れていた元警視庁の切れ者、神崎だった。退屈な観光に飽きていた彼は、地方の小さな事件に関わるのも悪くないと、半ば好奇心で捜査に協力することになった。

「敵がいない人間ほど、事件の影が深いものですよ」神崎は呟いた。

佐伯静子の生活は、まさに「ミニマル」という言葉が相応しかった。質素な平屋に住み、余計な家具は何一つなく、日用品も必要最低限。持ち物すべてが、厳選された意味を持つものばかりに見えた。そんな彼女の自宅から、何が奪われたわけでもない。物盗りの線は薄い。

「彼女の生き方そのものが、この像と同じだった」 像の作者である彫刻家、葛西はそう語った。「あの人は、人生の余計なものを削ぎ落とすことで、本当に大切なものだけを残した人だ。だからこそ、あの像は安らぎを与えるんです。」

捜査が進むうち、神崎は奇妙な事実に突き当たる。佐伯静子の遺品の中に、一見すると何の変哲もない、ただの古びた木片が一つあったのだ。手のひらサイズで、粗削りな彫刻が施されているが、美術的価値もなさそうに見える。しかし、佐伯はこれを常に身近に置いていたという。

「最近、佐伯さんが何かを手放そうと悩んでいた、と聞きました」 近所の住民が神崎に話した。「古いものを整理して、もっと身軽になりたい、と。でも、どうしても手放せないものがある、とも仰っていました」

神崎は、その「手放せないもの」が、この木片ではないかと直感した。

容疑者として浮上したのは、地元の郷土史家・山村だった。彼は佐伯の自宅にあった古書や美術品に以前から関心を示しており、事件当日も佐伯の家を訪れていたことが判明した。だが、山村は佐伯を慕っていたと供述し、殺害を否定する。

「佐伯さんの家には、価値のあるものなんて何もありませんでしたよ。どれもこれも、余計なものばかりで。いや、余計なものすらほとんどなかった、というべきか」山村はそう吐き捨てるように言った。彼の言葉には、佐伯の「ミニマルな生活」に対する理解の欠如、むしろ軽蔑めいたものが感じられた。

神崎は、山村の言葉に違和感を覚えた。「余計なもの」――佐伯静子にとってのそれと、山村にとってのそれは、まったく意味が違う。佐伯にとっての「削ぎ落とす」は、精神の純粋さへの希求だったが、山村にとってのそれは、おそらく価値のないものを排除する行為に過ぎなかったのだ。

木片を詳しく調べた結果、神崎は驚くべき事実を知る。それは、数百年前、この地の豪族が所有していたとされる秘宝の隠し場所を示す暗号が刻まれた、鍵の一部だったのだ。木片自体は価値がなくても、その情報には計り知れない価値がある。

佐伯静子は、かつて身分違いの恋に落ち、その恋の証として、恋人の家宝の一部だったこの木片を密かに託されていたのだ。彼女の「ミニマルな生活」とは、世俗的な富や名誉を求めず、ただ純粋に、その失われた恋を胸に秘めて生きる、という決意の表れだった。そして老いゆく中で、木片を元の豪族の血を引く者に返還し、自らの人生を完結させようとしていた。それは彼女にとって、最後の「余計なものを削ぎ落とす」行為であり、過去へのけじめだったのだ。

その秘密を知った山村は、木片を手に入れようと佐伯に迫った。彼は郷土史家としての知識を使い、木片の持つ真の価値を嗅ぎ当てていた。しかし、佐伯は、これは恋人との誓いの品であり、財宝の鍵ではないと拒否し続けた。彼女にとって木片は、金銭的価値などではなく、「尽きない愛情」の象徴だったのだ。

「佐伯さんは、本当に余計なものを削ぎ落としていましたね」神崎は山村に言った。「財産も、名誉も、世間の評価も。ただ、一つだけ、削ぎ落とせないものがあった。それが、木片に込められた『愛情』です。あなたにはそれが、ただの邪魔な『余計なもの』に見えたのでしょうが」

山村の顔から血の気が引いた。木片が財宝の鍵だと確信していた彼にとって、佐伯が頑なにそれを「愛情の証」だと主張する姿は、邪魔でしかなかったのだ。彼の「余計なものを削ぎ落とす」という発想は、佐伯の命を「余計なもの」として冷酷に奪うことにつながった。

鳥取の丘に立つ「慈愛の像」は、佐伯静子の魂の姿そのものだった。 余計なものを削ぎ落とし、ただ純粋な安らぎと愛情を体現していた彼女は、最後まで、その愛情を奪おうとした者によって命を奪われた。しかし、像は今も変わらず、静かに佇み、海の彼方を見つめている。 その姿は、佐伯静子が守り抜いた「尽きない愛情」が、時代を超えて、人々の心に安らぎを灯し続けることの、確かな証のように見えた。

The Statue of Compassion and the Cost of Pure Love

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    • 小説のジャンル: 推理小説
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